きりこがうたう 『時には母のない子のように』
Wikipediaより 引用
1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」と言う批判の声があったものの、累計でミリオンセラー[1] の大ヒット。この曲で第20回NHK紅白歌合戦への出場も果たす。ちなみに、当時の彼女の曲の作曲は武満徹やクニ河内が、作詞は前述の寺山修司や谷川俊太郎が、それぞれ手がけている。
当時 両親の 離婚で 私も 母のない子でした
この曲は 上記にあるように 「残酷な歌」…とは 思いませんでした
自分に対してより 父に対して、
この曲より 当時、子供ながらに、父に聴かせたくないと 思った曲は
星影のワルツ、人形の家 でした
母が私と妹を置いて 出て行き 生活の面で、不便ではあったけれど
私は そう寂しくも、悲しくもなく、母が恋しくて、泣いた覚えもない
ただ 父がかわいそうだった…、ちょっと 冷めた子供だったかも。
そんな父は 再婚し 今や よく笑う 明るいボケ老人、
母は 数年前から 私と妹と、同居…
サラッと 流したい話なので コメント不可にさせていただきます